2011年01月31日

岡田わさんの言葉 3

岡田わさんは、著作の中でいろいろな科学者の研究を紹介しながら、植物は、人間と同様の意識を持っている、と書かれています。

黙して考える植物
友だちと接するように草木にふれるとき、これまで生きてきた有形のいけ花から、無形のかたちへと飛翔できるのです。

目に見える世界から目に見えない世界を、多少の差こそあれ、感じとることはできるのです。自然の草木の無言の言葉の語りかけに素直に耳を傾けるくせをもちはじめるのです。

いけ花は、暇をもてあます女の戯れごとでもなく、美形のみを追求する芸術アレンジメント程度のものでもなく、それ以上の生命追求の極上の遊びと理解していただきたいのです。植物を理解することで、自然界の心理の一片をつかむ可能性が開けるのです。
(『季寄せ―雑草いけばな』飯尾一渓 講談社)より


「黙して考える植物」という表現がおもしろいですね。


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2011年01月24日

岡田わさんの言葉 2

花の初め
古代の日本の人々は神前に草木をささげる風習を持っており、中国から仏教が伝来したあと、神仏に花を供えるため、毎日一定の場所に花を飾る「供花」くげ)という習慣も伝わり、生活のリズムの中に花は存在していました。こうして神仏への※鑽仰(さんぎょう)と花への鑽仰が重なる日本独自の文化がはじまったのです。
(『季寄せ―雑草いけばな』飯尾一渓 講談社)より


そもそも、古代の人は、なぜ神仏に花を供え始めたのでしょうか。岡田さんの著作の中では、西洋の獣の命を献ずるいけにえ文化と対比させています。古代の日本人は世界で最も美しい命として花を供えたのでしょうか。岡田さんは、ここで日本人を植物的民族と表現されています。

※鑽仰(さんぎょう)
徳を仰ぎ尊ぶこと。
ほめたたえてあおぐこと。
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2011年01月17日

花は枯野に

寒中今年一番の冷え込みになりました。
20110117RIMG0547.JPG
葉を落とした雪柳(ユキヤナギ)の枝に新しい芽が。

「花は枯野に」
わび
それは大空のもと
冬の野に繰り広げられている雑草が
自然の心を語ってくれる

春に芽生えて
夏に伸び
秋に色づく雑草の
謳いつくした姿こそ
自然の極みというべきか

はなやかな色や形をもたずとも
白い世界に包まれた向こうに
秘めし春への息吹き
無心に生きる雑草の
大空の心にも似た
わびの世界

(『季寄せ―雑草いけばな』飯尾一渓 講談社)より

冬の枯野には生命の息吹きが秘められているという詩です。
先週の岡田さんの言葉につながる詩を取り上げてみました。

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2011年01月10日

岡田わさんの言葉 1

「枯れる」とは「死ぬ」ということではない」自然の木々たちは、春には芽を出し、秋には紅葉し、冬には枯れ、また春には芽を出すという生命の循環を見せてくれます。

枯れたなかに美しさを見いだそうとする花材、「枯れもの」。晩秋に葉は舞い落ちても、必ず春に芽吹く生命感を強調するたえに使われてきた。
(『花 一輪を百輪のごとく』岡田わ KKロングセラーズ)より


花も葉もない季節こそ、植物の生命を感じとる。貴重な時季かもしれません。水仙や椿の花を探すことより、枯れた草木の中に生命を探してみることにします。



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2011年01月03日

工藤亜美さんの言葉 9

新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

私にとって大切なシラーの言葉
「理性と感性の間には美が存在する」こうしたいと思う感性や発想と、それを形にして伝える理性的な行為や技術。その両方がなくては表現することはできないということ。それは造形に限ったことではなくて、花をいける時も、話をするのも、料理だってみんなそう。桔梗の花の「この表現が好き」と思っても、その表情にいけるためには、留めることができなくては伝わらない。

これはかご作りも同じです。発想があっても技術がなければ形にできません。

それに加えて、僕の場合は、相手(素材)と対話する能力が大切です。相手の気持ちがわからないと、いい感じのものになりません。対話する能力のある人とは、素材をよく知っている人とも言えますが、気が利く人、人の気持ちのわかる人という感じです。

工藤亜美さんの言葉、よかったですね。
今回で終わりです。
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2010年12月27日

工藤亜美さんの言葉 8

いけばなは、その歴史の中で、さまざまな様式を生み出してきた。
それはいつも建築様式の変化と対応している。環境の、人の暮らしの変化に合わせて表現を変えてきている。「いけばなは床の間に」というイメージが、「床の間」のない家が多い今も、根強い。

守り伝えることと、あたらしい創造。相反することの両方がいつもいっしょにいる。伝統芸能の世界はみんなそう。非日常の古典、日常的な飾り花。そして、個人の表現としての作品。
(『一花一葉』アジェット婦人画報社 平成11年11月11日)より


夏の終わりから、「かごバッグ」の新作を試作しています。2色のヒゴをいろいろに組み合わせて、柄を作り出そうというのがテーマです。いろいろやってもほとんどが失敗。そんな中、きれいに柄が立ち現われるときがあります。それは、驚きです。新しい柄の発見!と思ったりするのですが、おちついて見ていくと、日本の伝統的な柄の中にすでに似たものがあったりしあす。この試作を続けていると、「日本の伝統文化は、おもしろくて、カッコいい」そんな時代が始まるのではないかと思えてきます。

新しい創造の中に、伝統を再発見し、伝統を学ぶ中に、新しい価値を発見する。

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2010年12月21日

工藤亜美さんの言葉 7

5.変化する素材―素材が秘めている可能性を追求
糸、布、紙、植物の特徴、機能を見つけ出し、抽出して、形を変え、用をなすものを作りあげてきた。人間と植物のかかわり、それは当然いけばなが発生するずっと以前のこと。アニミズム信仰とは別に、こういった植物とのかかわりもまたいけばなの原点ではないかと思う。私はそういった関係、植物の力に魅せられる。
(『一花一葉』アジェット婦人画報社 平成11年11月11日)より


茶花やなげいれ、伝統的ないけばなとは別の文脈の発想だと思うのですけれど、関心があります。日々行なっている、カゴ作りも、いけばなの原点ではないかという話はなんだかうれしいですね。カゴ作りにも植物の竹の持つ美しさを引き出そうとする強い意識はあります。
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2010年12月13日

工藤亜美さんの言葉 6

4.魅了する色―葉の色彩は花以上に饒舌
花の色は本当に豊富になった。色が豊富になれば表現できることが広がる。子供の頃のクレヨンの色数といっしょでワクワクする。どんな色の花にも緑が混ざっていて、緑の似合わない花はない。だから緑を介在させていけば、かなり大胆な配色もできる。
(『一花一葉』アジェット婦人画報社 平成11年11月11日)より


葉の緑の大切さという花道家は多い。花以上に大切という人もいます。緑の似合わない花はなく、別々は色の花をつなぐ役割りもある、ということですね。葉は花と器の間もつないでいます。
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2010年12月06日

工藤亜美さんの言葉 5

3.花の表情―花や茎の動きにドラマを発見する。
花の表情、イメージが表現できるためには表情を決めることが大切。この表情と思う角度に留めるのは技術の問題。私はよく「この子こっち向いてほしいな」と花を人扱いしてしまう。子どもの頃に「お花同士がお話ししているようにいけなさい」と教えられたからだろうか?能がひとつの面の角度だけで喜怒哀楽を表すのと同じように、花の表情も角度で違ってくる。茎の線、葉の姿の表情…自分の気持ちがそこに映る。
(『一花一葉』アジェット婦人画報社 平成11年11月11日)より


このお話はなるほどなと思いました。
才能のある人の話は興味深いですね。
花を思う角度に留める技術、重要かもしれません。
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2010年11月29日

工藤亜美さんの言葉 4

2.水揚げする。―花の新鮮さを長持ちさせるコツ
「花の師匠は花の医者なり」はどの花伝書の言葉だったかしら?花の元気を保つ、元気にさせるためのコツ。それは秘伝だったりもする。それぞれの教え、それぞれの工夫、それぞれが信じている方法がある。でも本当の基本は、花をいじくりまわしていじめないこと。きれいなたっぷりの水、きれいな切り口。…水切りは忘れず。
(『一花一葉』アジェット婦人画報社 平成11年11月11日)より


水揚げは水切りだけでやっています。できればよく切れるハサミで花を切った直後に水切りをしておくといいのでしょうね。僕は、ある人がカゴ作りに使っていたハサミをもらい受け、使っています。竹ヒゴをザクザク切っていたものです。

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2010年11月22日

工藤亜美さんの言葉 3

1.花を留めるー目的の位置に花を留めるワザ
花を思ったとおりにいけるためには、花がそこにいってくれる工夫をしなくてはいけない。
留まったところがいいところと、偶然の積み重ねに頼ってばかりではいられない。
花留めや、剣山、七宝を使うことのできる器、できない器。
基本的には器との接点を増やせば留まるという単純なこと。
はさんだり、からめたり、いろんなアイディアがある。
(『一花一葉』アジェット婦人画報社 平成11年11月11日)より


花をいけるための技術的なことに関しては、これまで取り上げてきませんでしたが、工藤さんの技術的なアドバイスは、ちょっとおもしろいので取り上げてみます。で、僕は今のところ、偶然に頼ってばかりです。
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2010年11月15日

工藤亜美さんの言葉 2

器に許され、認められ、喜んでもらえる花をいけたい。
意志があると思わせる器の魔力である。
(『一花一葉』アジェット婦人画報社 平成11年11月11日)より


こんなふうに思って花をいけられている人もいるのですね。花に、いける人に認められ、喜んでもらえる花かごをつくりたい。

小さきものへの憧憬と畏怖
花を見つめるとき、その大きくとらえた姿の美しさとは別に
細部のおもしろさがみえてくる。小さな花、私の見つけた小さな部分を表現することにあこがれた。
(『一花一葉』アジェット婦人画報社 平成11年11月11日)より

小さな花の一輪一輪もよく観察するととても美しい。そんな小さな花をクローズアップしていけることもひとつのあり方だと思います。「草木染創作花かご」の中にもミニチュアシリーズがありますが、まさに「小さきものへの憧憬と畏怖」です。
ラベル:工藤亜美
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2010年11月10日

工藤亜美さんの言葉 1

いちりんのはな。いちまいのは。
花と葉と器を「合わせる」。「合わせる」は「いっしょにする」「くっつける」という単純なことから、「つりあうようにする」ということもあるし、「勝負をさせる」という、相反する意味もある。似たもの同士の仲良しも、ライバルも、補い合うカップルも、ご近所さんも、育ちの違う子どもたちも…。私の仲人でベストカップルになって。
(『一花一葉』アジェット婦人画報社 平成11年11月11日)より


ひとつの器にいけるということは、こういうことなのですね。花をいけるということが、とても
楽しいことに思えてくる言葉をみつけました。
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2010年11月01日

西堀一三さんの言葉 6

競いの心を持っている時には、目立つような美しさに心が惹かれます、茶室の花の美の場合は、それよりも、目立たぬようにあることによって、人の心の内側に触れていくものを考えているのです。
(『新版 茶花の話』淡交社より引用要約)


僕のつくる「草木染創作花かご」は繊細、シンプル、小ぶりなものが多いため、他の花かごと並んでいると目立たないようです。特に、化学染料で染められているものが多い中に置かれていると、化学染料の強さに負けてしまいます。もっと強い、目立つものを作った方がいいのでしょうか。
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2010年10月25日

西堀一三さんの言葉 5

西堀一三さんの言葉 5回目です。

茶室の花は、主人が生ける時には、そのよき枝を客の方に向けるようにするのでありますが、客が生ける時には、これを主人の方に向けるようにするのであります。そのようにお互いに他を思う行いが現れるのは、あらゆる人間がすることの中で最も美しいことであります。
(『新版 茶花の話』淡交社より引用要約)

他のためを思って、これに善を寄せるのは、実は教養のある女性の生活態度に外ならなかったのであります。花の道という特別なものが生まれる前に、その精神に添うものが、女性によって実行されていたと考えるのであります。
(『新版 茶花の話』淡交社より引用要約)

自らを素朴にし、むしろ慎み深く自分を下げたところにその美は現れるのであります。それで、ちょっと見て、「これは美しい」と感じられるようなものではありません。世の美しさを賞する人々から見れば、ちょっと淋しく見えるくらいのところに茶室の花としての品格があります。
(『新版 茶花の話』淡交社より引用要約)
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2010年10月18日

子どもらしい心でいろいろやってみる

先週は子どもらしい心を持つことの大切さについての言葉を集めてみました。『仕事は楽しいかね?』という本の中から、パブロ・ピカソの言葉を見つけましたので加えておきます。

子どもはみな、生まれながらに芸術家だ。問題はいかにして芸術家であり続けるかということだ。
―パブロ・ピカソ
(ディル・ドーラン著 きこ出版)


この本の中には、こんな言葉も書かれています。

遊び感覚でいろいろやって
成り行きを見守る


花もこんなふうに楽しむのもいいですね。この本では、花をいけることではなく、人生がうまくいっている人は自分がどこへ向かうのかわかっていない。―ただ、遊び感覚でいろいろやって、成り行きを見守ろうと思っている。と書いています。

先週末から奈良のアン・ドゥさんで2人展が始まりました。偶然ですが、アン・ドゥさんの近くの方から電話があり、近畿地方で花かごを見ることができるお店を紹介して欲しいと言われました。ご住所を伺うとお近くの方で、喜ばれました。こういう偶然があるときは、きっと何かいいことが…。
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2010年10月11日

花をいけることと発明は、同じ根から

竹かごバッグの新作づくりを始めたら、やめられなくなってしまいました。1ヶ月くらいの予定で、アイデアから試作までを考えていましたが、試作をするスピードよりもやってみたいことの方が増してしまい、やめられなくなってしまいました。しかし、時間が無限にあるわけではありませんので、そろそろ切りをつけなくてはと思っています。

月日にもご紹介しました、西堀一三さんの言葉です。

童心的な心持ちのままに、本当に子供らしい気持ちで生けた花もまた面白いものです。

川瀬敏郎さんの言葉です。

花をいけることの本質的な歓びは、ただ無邪気に何も思わず花をいけていた子供のころの歓びの中にこそある。


エヴァン・I・シュワルツさんの言葉です。

新しいものを創造するのは、知性ではなく、内的必要からはたらく遊びの本能である。

発明家の才能は、好奇心に引かれたもので遊ぶ子供のような気質の中にその根がある。

遊びの本能こそが、発明家たちの持っている本能。
(『発明家たちの思考回路』ランダムハウス 講談社)より
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2010年10月04日

西堀一三さんの言葉 4

一ヶ月以上前の事ですが、茶籠や盛籠を作っている友人から連絡がありました。

「三越日本橋店で一週間販売をすることになったので、花籠を何点か送って欲しい」と言われ15点程送りました。その結果、たくさん販売をしてもらい幸運でした。デパートでは、作り手が売り場に立つということが増えているのでしょうか。そういうことが作り手に求められているのでしょうか。デパートの関係者の方がいらっしゃいましたら、コメント、メールで教えて下さい。お願い致します。

西堀一三さんの言葉 4回目です。

「野にあるように」は、他の言葉で言うと「ただなんとなく」の心持ちに当たるのだと思います。(中略)この「なんとなく」は。はっきりしないようでありながら、心の底から起こってくるゆえ知らぬ真実を表しているのであります。

「ただなんとなく」が、自らの心の奥底にあるものであると言いましたが、同時に他の人にもあるものでありましょう。そうしたものを呼び覚まし、真実なるものの眼をさまそうとしているのが、茶花の花なのであります。


・「野にあるように」は、他の言葉で言うと「ただなんとなく」この「なんとなく」は、はっきりしないようで知らぬ真実を表している。そして、他の人の中にもある真実なるものの眼を呼びさまそうとしているのが茶花の花。

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西堀一三さんの言葉 3

夏に佐賀からお客様が訪ねて来られました。あるお店を通じて花かごのご注文をいただいていたのですが、納めていませんでした。それで、お客様が様子を見に来られたのでした。実はご注文の花かごはホウビ竹(根曲竹)で作るのですが、そのホウビ竹の良いものが手に入らず、納められずにいました。質の良いホウビ竹(根曲竹)の入手先をご存知の方教えてください。

西堀一三さんの言葉3回目です。

(茶花を)
一枝か二枝を軽く挿すことになるのは、冨貴を誇るような心ではなく、簡素でなければならないことでありますが、
(中略)それは、数を少なくするのは、本当にものの本質を明らかにするということであります。

(茶花は)
美しく珍しい花であるよりも、今の今それを生けたということが命であります。


・茶花を一枝か二枝を軽く挿す、簡素であるということは、ものの本質を明らかにするということ。
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2010年09月20日

西堀一三さんの言葉 2

秋の草花こそ、かご花入れが似合うと感じていますが、今年はデパートで秋に花かごの展示をしていただいています。いつもならば、この頃になると花かごの展示はなくなります。デパートの方にうかがったのですが、お客様に秋はかごの花入れがいいと言われたのだそうです。むかしは一年を通じてかごに花をいれていました。

西堀一三さんの言葉2回目です。

(茶会の花は)
「花は野にあるように」という有名な利休居士(こじ)の言葉のように自然さがあります。
その点が「いけ花」とは違っています。なお言えば、「一枝か二枝を軽く」と言われているように、簡素な姿があり、その点が、世にある「いけ花」とは異なっていますが、それは、「なんとなく淋しい」とも見られないではありませんが、その中に深きものの味わいがあります。

野にある花の姿を写して生けるのも、草木の、素直な心の明るさに触れようとするからでありまして、そのために、人間がなす技巧のようなものを加えずに、素直な自然さのままに花を生けるのであります。


・(茶会の花は)簡素な姿があり、「なんとなく淋しい」とも見えるが、その中に深きものの味わいがある。
・「野にあるように」は、草木の素直な心の明るさに触れようとするもの。
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