2009年05月11日

花の力 2

春はあちらこちらで次々に花が咲き楽しく元気な気持ちになります。その元気を部屋の中にも取り込みたいですね。

『花 假屋崎省吾の世界』から假屋崎さんの言葉です。

「花との関わりは神聖なものであり、人間の喜びを倍化させ、悲しみをやわらげる。そういう力が花にはある」

「空間というのは、何もなければないなりに存在するのですが、そこに花が一輪入るだけで、空気が一変します」

「大切なのは、人を癒し、元気にするための花であると同時に、自分自身が楽しむこと」
(『花 假屋崎省吾の世界』假屋崎省吾著より)

花には喜びを倍加させ、悲しみをやわらげる力があるのですね。


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2009年04月20日

花の力 1

今回から「花の力」についての言葉です。花にはいろいろな力、パワーがあるようです。山月研究会・中野隆昭さんの著書『自然の花と人生』の中の言葉です。

「創始者・岡田茂吉の言葉
・花は神の気を受ける。
・花には魔を拂うと共に、人間の獣性抜き、品性を高める力がある。
・邪神とか悪はとても花を嫌う。
・一枝の花は、一種清新の潤いを与え、苦悩の心を相当緩和する力がある」

「・花は大自然の気を通して、神仏の霊力を受けている。
・花は見る人に対して、心(魂)の浄化をうながし、人格も高める。
・花はその美の力で、いける人、見る人と一体になり運命を開いていく」
(『自然の花と人生』中野隆昭著より)

花には品性と人格を高めてくれる力があるのですね。
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2009年04月14日

花の心と籠編み

花の心を味わう。花の語る言葉に耳を傾ける。花の心をくみとる。花の心を思いやる。いろいろな表現が出てきました。

籠作りに置き換えてみたとき、“竹の心を思う”という表現はしっくりきませんが、花をいける人が“花の心を思う”と同じ感覚はあります。

竹からヒゴ取りをしていくときには、竹の性質を読み、適材適所に使います。かご編みをしている時には、ヒゴが行きたい方向を感じます。「お願いだから、もう少しこっちを向いて」とか「もう少しがまんして」などと思いながら編みます。

竹ヒゴに合わせたり、こちらに合わせてもらったり…花の心を思うとは、こんな感じでしょうか。

「私はなみあぶだぶつと唱えずに、花を切ったことは一度もない」

「剣山を使うと、花がかわいそうなので、私はほとんど用いたことがない。多くの場合、投げ入れなので、その必要がないのだが、睡蓮ばかりは茎がしっかりしないので、花に謝って剣山でとめた」
(『花』白洲正子著より)
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2009年04月06日

山本静山さんの花のこころ

山村御流初代家元、山本静山さんの著作に『花のこころ』があります。本のタイトルのとおり、花の心についてもふれられています。

「さて、この花をどんなに生けましょうか。すべての花には何かの希望が、ささやきがあるはず。全身を耳にして、花のささやきをそっとうかがってみましょう。」

「草や木は、人の善悪をいわないで、だれにでも美しく、やさしく、話しかけるように、ほほえみかけるように、そしてその人間の心の奥を知っているかのように、それぞれの心にやさしさを満たしてゆきます。」

「自然は多くのものを包みもちながら、大きい力で私たちに、いろいろなことを教えてくれます。その教えを心の奥深くでくみ取って、正しい心根に帰っていくことが、現在の世の人々にとっても、たいせつなことではないでしょうか。お花を生けましょう。心の花を。しあわせを見いだすために。」
(『花のこころ』山本静山著より)

注意深く、目で聴き、手で聴く、という感じでしょうか。
ラベル:山本静山
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2009年03月30日

花の心を思う 続

「いける人自らの心を大切にしつつ、
花の心を思いやっていける、というのがいけばなの基本です。
このいけ花の目指すところは人間の内面を磨くということ…。」

「いけばなは、花の心をくみとり、花の気持ちになっていける
ことに意味があります。そのためには、自然をよく見ることが大切。
(中略)…というように相手をよく知ることが“心を込める”という
ことなのです。その精神は人と人の情の交わし合いにつながっていきます。」
(『花のこころ一日一話』池坊専永著より)

人間同士が相手のことをよく知り、相手の心を思いやる、
そのことが大切であることと同じように、
花も命ですから、花にも心があり、花のことをよく知り、
花の心を思うことが大切、ということですね。

人は植物と会話することができたら、という願いを持っている気がします。
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2009年03月16日

花の心を思う

花道家の方々はよく、花の心を思いやることが大切だと
おっしゃっていますが、どんなイメージなのでしょうか。
こんな言葉があります。

「古人は素直に花への感謝の心を抱き、花の心を味わいました。現在の私たちもそういう姿で花と接することはできるのです。それは特別に才能豊かな人たちだけの楽しみでもなく、ある一定期間だえ打ち込むものでもありません。日常生活の中で、生涯終わることなく、自身を見つめ高める上等な遊びであり、芸道です。」
(『花一輪を百輪のごとく』岡田わ著 ロングセラーズより)

「花が語る言葉に耳を傾け一体化することで、花を荘厳※していきたいのです。」

「いけることで花に新たな心が宿り、その心が自然を豊潤なものにする。しかも、それが暮らしの中でふつうに行われていつことが素晴しいのです。」
(『四季の花手帖2』川瀬敏郎著より)

生活の中で花をいけることは、上等な遊びであり、
素晴しいことである、ということはわかりますが、
「花の心…」のイメージがまだつかめませんので
もう少し例を探してみます。

※荘厳…美しく飾る、というような意味で使われているのでしょうか。
ラベル:いけばな
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2009年03月09日

生け方を知らないからとためらわずに

今回も「生活の中に花をいけましょう」がテーマです。

「ただ、なにげなく自然を見、なにげなく花を生けてなにげなく部屋にそれをおくことが、楽しいのではないでしょうか。なにげなくという言葉は、あるいはむしろ、むずかしいかもしれませんが。」
(『花のこころ』山本静山著 主婦の友社より)

たしかに、なにげなく花をいけることができて、それが生活の中の習慣になっている人は素敵です。習慣は継続の結果ですから…。

「花を生けましょう。自然のままに。野にある花を、山に咲く花を、庭に咲く花の一枝を、手近な器にそっと生けて、きょうのささやきを聞きましょう。生け方を知らないから、器がないからとためらわず、心の糧に」
(『花のこころ』より)

山本御流初代家元である山本静山さんも、生け方を知らなくても、
花を生けてみましょうと、おっしゃっていますね。
定められた形はないともおっしゃっています。
ラベル:山本静山 生け花
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2009年03月02日

生活の中に生かされてこそ

川瀬敏郎さんの花は“なげいれ”と言われるものです。川瀬さんはこの“なげいれ”が現代の生活の花として最もふさわしいとおっしゃっています。それは型や約束がない自由な花だからです。

「現代の生活空間は多様化し、一人一人の個性あふれるライフスタイルが生み出されている。型にとらわれず、自在に己が心を写すなげいれは今、もっとも求められている花の姿」
(『花は野にあるように』川瀬敏郎著 淡交社より)

“なげいれ”は奥が深そうですが、生活の中の花としてシロウトの僕にも入りやすいふところの広さも感じます。

「なげいれは、どこまでも生活の中の用の美を貫いた花。花の芸術性ではなく、生活の中に生かされてこそなげいれです」
(『花は野にあるように』より)

生活の中の花は、芸術性や造形性を追求するものではなく、花の美しさに触れたり、喜びを感じたりできればいいのですね。
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2009年02月16日

上手に生けようとするより

生活の中で花をいけるということになると、生け花を習う、型を修得していくということになるのかもしれませんが、まず好きにいけることから始めていいのではないでしょうか。

「上手に行けようとするより、花そのものの美しさに素直に感動できる…。そんなあなたは、もう花をいけられる人です。」
 (『花一輪を百輪のごとく』岡田わ著 ロングセラーズより)
上手に生けなくてもいいんですね。
花が美しいと思えれば花を生けられる人なのですね。花は美しいと思います。

「花の愉しみ方はそれぞれですが、日々の暮らしに生かす花は、気に入った器に気に入った花をさりげなく、というのがもっともふさわしいと考えています。」
(『花は野にあるように』川瀬敏郎著 淡交社より)

日々の暮らしに生かす花は器も花も自由でいいよ、と
川瀬さんはおっしゃっていますね。
さりげなく…。
さりげない…そんな花籠を作りたいと僕も心掛けていますので共感します。
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2009年02月08日

今こそ生け花が果たす役割は大きい

このブログは、花をいけることの意味や喜びを花道家の言葉から学んでいくことが目的です。

第一回は花道家ではありませんが「今こそ生け花が果たす役割は大きい」という言葉に共感し、脚本家の早坂暁さんの言葉から紹介します。

「自然を遮断する暮らしをしていると、人間、心が枯れてしまう。その時、一輪の花があれば、そこに自然が凝縮しているわけですから。」

「環境が大事だという今こそ、生け花が果たすべき役割は大きい。コンクリートの中に自然をどれだけ取り込むかで、精神のあり方も変わる。生け花を家や玄関に置いてみたら、無くなったときに寂しくて仕方がない。それも1、2本の花で自然が表現できる。」
(「私と生け花」読売新聞  2008年8月27日朝刊より)

風や光を家の中に取り込むと気持ちがいいのと同じように、家の中に花があると気持ちがいい。植物が近くにいることがうれしいと感じれば、自然を大切にしようという気持ちも育つのでしょうね。

植物が身近にある環境は大切だと思います。
ラベル:生け花
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